「本当の意味での『復興』はこれから」
岩手県で東日本大震災直後から復旧・復興に携わってきた方の言葉です。
東日本大震災から10年は復興の一つの「区切り」とされていますが、残された課題は多くあります。今なお被災した人々が抱える生活の課題を、政治はどう解決していけるのか。
立憲民主党の枝野幸男代表と福島県出身の金子恵美衆院議員(衆院・東日本大震災復興特別委員会筆頭理事)は3月3日、被災地で長く復興支援に取り組んできた福島県の山中努さん、岩手県の寺井良夫さん(一般社団法人SAVE IWATE理事長)、宮城県の佐野哲史さん(一般社団法人復興応援団代表理事)を招き、被災した人々がいま抱える生活の課題について、オンラインで話をうかがいました(写真上は、上段左から枝野代表、山中さん、寺井さん。下段左から佐野さん、金子議員)
地域経済復興に、「10年の節目」とコロナ禍が冷や水
インフラ再建や事業者の販路回復は大きな課題ですが、震災10年を迎え、行政からの支援は離れ始めています。復興庁予算は2020年度の1.4兆円から、2021年度では6,200億円と大幅に減少しました。
金子議員「一般社団法人SAVE IWATEは被災直後、職場を津波で失った人、沿岸部から盛岡に避難してきたけれど働く先がない人と、地元の味・和ぐるみを使った製品づくりプロジェクトをしてきました。その経験を生かし、農産品、海産品、酪農関係など県内事業者の商品開発や販路開拓の支援も手がけてきたということですが、現状はいかがですか。」
岩手・寺井さん「復旧の10年がだいたい終わったと感じています。本当の意味での『復興』はこれからです。岩手の三陸沿岸に行くと、復興のために何とか地域を盛り立てたいという思いは皆さん強く持っていますが、新しく商品はできたけれども、なかなか売り出せず伸び悩んでいる方々がまだ意外と多いです。
わたしたちの事業者支援は県から委託を受けていましたが、残念ながら今年度で(支援が)終了します。被災者の方々が手作りしたもの、三陸の事業者の商品は盛岡の店舗で販売を続けますが、どの程度力になれるか。」
発災直後から宮城県内での復旧・復興に携わり、南三陸町で一次産業の新規事業立ち上げ支援に従事した一般社団法人復興応援団の佐野哲史代表理事は、新型コロナウイルス感染症の影響を懸念します。
宮城・佐野さん「完全に復興に冷や水を浴びせた格好です。業種業態によって差はありますが、BtoBつまり卸は、納入先の飲食店や施設などの活動量が落ちているので、総じて低調です。」
復興に住民の「『関わりしろ』がない」
東京電力・福島第一原子力発電所事故があった福島県。処理済み汚染水の処分方法、なお続く風評被害など、収束しない複雑な問題が、人々にさまざまな影響を与えています。
金子議員「福島県の山中努さんは、震災直後に東北地方に入り、今も福島県内でNPOなどを支援しています。福島県の復興の今を、どう見ていらっしゃいますか。」
福島・山中さん「一次産業には競争原理も必要かもしれないけれど、風評被害や処理水の海洋放出が俎上(そじょう)に上るような環境では、競争原理は機能せず、ビジネスモデルは確立しません。ある程度公的な保障がある形で、農産物を作ってもらうことも必要かもしれません。今SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに言われますが、福島はまず原発事故が収束し、風評被害を乗り越えないと地域社会が持続せず、SDGsも語れません。
また農業をはじめ福島に対するさまざまな政策は打ち出されていますが、最先端のロボット開発などは、住民の『関わりしろ』がない。自分たちの地域をどう維持するか住民自身が考える、コミュニティベースの視点がありません。」
地域共同体ベースの継続的な心のケアが必要
福島・山中さん「県内で子育てするお母さんたちは、どうしても子どもを守らなきゃいけないという思いが強くて、例えば部活も屋内のバスケットボールを選ばせてしまったり、子どもが外に出て遊んだら強く怒ってしまったり、子どもに厳しくしすぎてしまったというトラウマのようなものが、10年経ったいま、出てきています。
また最先端のロボット活用による、地域の復興といったきれいな「復興ストーリー」が言われる中で、10代の子どもたちもそのように言わざるを得ない状況もあります。中高生に関わる子ども支援の団体やお母さんたちのグループは、非常に懸念しています。
どうしても心のケアを担当する専門家を増やすのは限界があるので、住民レベルで取り組み、(心のケアに取り組める人の)裾野を広げていく活動に、まさに着手したところです。」
福島県選出の国会議員として活動する金子議員も、同じ問題意識を持っています。
金子議員「今年2月13日の福島県沖地震発災時、原発は大丈夫かしら、とまず浮かびました。(子どもを守れるのかと)不安でしょうがないお母さんたちがたくさんいらっしゃいますし、そしてそれを見ている子どもたちにもケアが必要なのは、10年経っても変わらないです。」
コミュニティ活動では「リーダーが疲弊」
仮設住宅や災害公営住宅など、震災後に多くの被災者が自宅とは違う場所に居を移しています。もとの地域コミュニティから離れることで抱えてしまう孤独を、地域コミュニティで解消しようという試みが、各地で続いてきました。
金子議員「佐野さんたちは2011年から宮城県多賀城市内の仮設住宅で、2016年からは同市内の災害公営住宅で、手作り情報誌の毎月1回の対面配布と、コミュニティ内での住民主催のイベント支援をされてきました。最近の災害公営住宅の状況はどうですか。」
宮城・佐野さん「2018年ころから、イベント数が激減しました。仮設住宅の時期に頑張ってコミュニティづくりをしてきたリーダーさんたちは、公営住宅に移ってからはリーダーをやっていないケースが多いです。端的に言うと疲弊してしまったんだと思います。
例えばある公営住宅では、初年度に大規模なお祭りをしましたが、関わった住民の皆さんが疲弊してしまって、翌年以降は小さなサークルでの活動に変わりました。そういう意味では活動内容が最適化されているとも言えるのですが、いずれにせよリーダーの皆さんは手弁当でやっているので、事業者と違って継続が難しい。ベーシック・インカムの議論がありますが、それよりコミュニティに何か財源をつけた方が、住民主体の地域づくりにとって、真に有効なのではないかと思います。」
震災10年を「他人事ではない、に戻るきっかけに」
金子議員「復興に向けて10年間歩んできた皆さんから政治に求めることと、今後の展望を教えてください。」
福島・山中さん「(コミュニティ活性化や持続可能な地域産業、海や陸・森の恵みを守る一次産業の実現など、持続可能な地域社会をつくるための、被災地の)課題の克服が、SDGsなど世界の課題の克服にもつながっていくと思うので、もう一踏ん張りしてほしいです。」
宮城・佐野さん「(復興の)主役は住民。いろんな条件の重なり具合があるので一言で申し上げるのは難しいですが、やっぱり住民の皆さんが頑張って主体的に立ち上がると復興の雰囲気は明るくなります。
支援活動の現場でも『まずヒアリングしてニーズを把握』みたいな議論がよく出ますが、それに対して『聞いてわかると思うな』という話をうちのスタッフにもよくしています。質問をして、(回答が)出てきても、それが答えじゃないぞと。その場に行って、その人と共にあって、われわれ自身が感じ取った必要だと思うことを、自ら進んでやることが本当の支援だと思っています。そして、政治も本来そういうものだと思います。」
岩手・寺井さん「『新しい公共』というような言葉が震災直後生まれてきて、それが社会の中に定着していくと想像していましたけれど、だんだんその影が薄くなってきた印象を持っていて。エネルギー政策にしても、食をめぐる問題にしても、あるいはその市民の社会での役割にしても、もっと変わるだろうなと思っていましたが、あれだけの災害があったのに、何だったんだろうっていう感じを最近持つことが多いですね。
市民、住民の力がやはりこれからの復興力となり、下から支えていく担い手としては、絶対必要なものなので、またその考え方をしっかり持ちたいなと思っています。政治にも変わっていただきたい。いろんな仕組み、制度、使いづらい助成金も、もっと変えてほしい、これまでの犠牲や努力を無駄にしない、そう望みたいなと思います。」
ヒアリングを受けて枝野代表は、コミュニティ活動のリーダーの疲弊や子どもたちの心のケア、福島の農業への公的保障などあまり注目されてこなかったことに視野を広げていきたいと話し、次のように締めくくりました。
枝野代表「ここ数年、残念ながら(東日本大震災や復興を)他人事として多くの人が受け止めてきてしまっています。一歩間違えると、この10年という節目は風化のきっかけになりかねません。だけど10年前は、「他人事ではない」と受け止めた人がほとんどでした。「他人事ではない」という意識に戻ってもらうきっかけに、(10年の節目を)できたら良いなす。
https://cdp-japan.jp/news/20210307_0888